歴史

歴史について

「心理社会的」〜Psychosocialという言葉が初めて登場したのは、あの「自我同一性の危機(Identity Crisis)」を提唱したエリクソンです。

エリクソン

彼は1979年の論文で「Resolutions of Psychosocial Tasks」 (The Journal of nursing care 12(5):27-8, 1979 May PMID 374748)という題名を付け、初めて心理社会的という言葉を使いました。そこからすべてが始まりました。
エリクソンによれば「心理社会的」という意味は「個人が周囲の環境に触れて起こすユニークな内的変動を記述するもの」そして「社会的な周囲環境を土台にした相互作用を用いて、自己を発展させるための様々な取り組み」です。少々難しいかもしれませんが、これが現在まで続いている心理社会的の基本概念です。
その後、デンマークを中心に拷問の被害を受けた難民の人々へのケアモデルとして「心理社会的ケア」が導入されていきました。この時代はまだまだ「ケア」であって「サポート」ではありません。ICRT(International Rehabilitation Council for Torture Victims)やRCT(Rehabilitation and Research Centre for Torture Victims)などの団体が積極的に心理社会的ケアを用いてアフリカなどから逃れてきた、心的外傷を受けた難民の皆さんへの治療とPTSDの予防を行っていきました。

IRCTとRCT

1990年代になるとついにノルウェー王国のオスロ大学に「附属心理社会難民センター(Psychosocial Centre for Refugees)」が設立されます。所長はDr. Edvard Hauff医師。私の恩師です。大学の学生寮の1階にあったこのセンターは、オスロ市内に在住する多くの難民の人々へ毎日、心理社会的ケアを提供していました。主にアフリカから、そして旧ユーゴスラビア難民の皆さんへのものでした。

エドワード医師とともに

ここで桑山は心理社会的ケアの根幹や応用を学び、おそらく日本人としては唯一の心理社会的ケアを学んだものとして1992年、日本に帰国しました。そして日本のNGO、JENと共に旧ユーゴスラビアの仕事を開始しました。

JENとの活動〜旧ユーゴスラビア

当時、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は救援の内容に優先度をつけていましたが、一番はFood Item(食料)、二番はNon-food Item(衣料など)、そして三番がInfrastructure(生活基盤)。そしてなんと4番目にPsychosocial Careをかかげていました。
時代は心理社会的ケアに向かって進んでいきます。
そして2000年になると京都に本拠を置くNICCO(日本国際民間協力会)と組んで世界の様々な災害の地に赴き心理社会的ケアをおこなうという時代を迎えます。
一方桑山が主宰する認定NPO法人「地球のステージ」は、2003年からガザ地区を中心に心理社会的ケアを継続してきました。2016年からはヨルダン川西岸地域でも展開が始まり、まさにパレスチナを舞台に心理社会的ケアは大きな飛躍を遂げていきます。

ガザ地区での活動

そして2018年からはSPJ(SDG’s Promise Japan)と組んで南スーダン難民の皆さんへの心理社会的サポートをウガンダで展開し始めました。2015年くらいからUNDP(国連開発計画)がこの心理社会的ケアをよく展開するようになり、その際は「ケア」でなく「サポート」として、関われる人材の幅を広げてきた経緯があります。

ウガンダでの活動

そのUNDPシリアから直接の依頼を受けたのが、2018年7月の日本研修でした。シリア国内の赤新月社で働く10人のソーシャルワーカーを日本に派遣し、桑山らの「心理社会的ケア」を1週間で学ぶというプログラムでした。東北の被災地への研修も含め、非常に濃密な実践研修を実施し、皆さん納得でシリアに戻って行かれました。

UNDPシリアからの研修生受け入れ

このようにUNDPも組織として心理社会的ケアに大きな関心を寄せています。時代はまさに「心理社会的ケア(サポート)」を後押ししています。
そんな大きな流れをこの日本で盛んにするために、心理社会的センターを開設しました。